2017年9月20日水曜日

2017.8下旬 栂海新道を上る 親不知→猿倉2泊3日 1日目: 親不知〜栂海山荘



栂海山荘と夕焼け




栂海新道を含む三箇所までコースを絞り込んだが、栂海新道はコースタイムが長く標高差もそれなりにあって不安が大きかったので、今回は他の山に行く決心を固めていた。
それが出発三日前の昼休み、栂海新道に行こう、あそこしかないとなぜか急にくるりと考えが変わり、それからはもう他の山に行くことは一切考えられなくなった。
いつも直前まで迷いに迷っていてこんなことは滅多にない。天啓みたいなものかもしれないと思った。

でも出発前夜、予約していたバス便の決済をしようとページを開いたらなんと予約が全て取り消されている。なんだ? メールを掘り起こして読んでみると決済期限を三日過ぎてしまっていた。ありゃりゃ…。 もう当然空きは無い。
しばらく茫然としたが、どうしようもないので電車で行ける元々の第一候補だった山に気持ちを切り替え、その日はもう寝ることにした。
でもなかなか寝付けず、夜中起き出してパソコンの電源を入れ、さっき逃したバス便を未練がましくチェックするとなんと一席空きが出ている! すかさず席を押さえ支払いを済ませた。よし。



夜行バスは直江津駅前に定刻の5:41到着。
さっきまで雨が降っていたようで路面には水溜まりができている。今日の予報は朝方まで雨で以降は晴れ。その予報のとおりにいってくれるのか、頭上を覆っている黒い雲が海側の晴れ間に次々と南へ押しやられていくのが見えた。

駅のトイレで歯磨きをすませ、5:58 直江津駅発泊行きの電車に乗り込む。
車窓から時折見える川はどれも黄土色の濁流だ。やはり今朝までは結構降ってたようだ。


糸魚川駅に着くと向いのホームに金沢行きが停車していて、念のため車掌に聞くと親不知にはあっちの方が早く着くと言うのであわてて乗り換えた。
青海駅を過ぎたあたりでタクシー会社へ電話し、親不知駅へ配車の依頼をする。糸魚川から行くから7時10分くらいになるとのこと。


6:52 親不知駅到着。このホームに立ったときは感激した。いやほんとに来たんだなぁと。
無人駅だがそこそこの大きさがあるので昔は駅員がいたのかもしれない。


駅横にコカコーラの自販機と公衆電話があり、コーラを買って飲み干したころにタクシーが到着。電話で言っていた時間より早く来てくれた。





海 07:34
入道山 08:59
尻高山 10:11 - 10:27
坂田峠 11:02 - 11:07
白鳥小屋 13:38  - 14:21
下駒ヶ岳 15:31
菊石山 16:04 - 16:16
栂海山荘 18:08 

行動時間:10時間41分 歩行時間:8時間58分
最大標高差:1550m 累積標高:上り 2134m・下り 667m 距離:18.664km

三日間とも山と高原地図のコースタイムはほぼ同じ11時間前後だが、二日目三日目とは違い、この日はじめっとした展望のない樹林帯を黙々と登り降りするほとんど修行のような1日だった。あるいは1日掛かりの通過儀礼とも言える。


今回一番つらかったのが、この日脚が攣ってしまいそれが断続的に続いたこと。
最初攣ったのは坂田峠を過ぎて金時坂を登り始めて少ししたところだった。
マッサージと休憩でなんとか収めて歩き始めたが、15〜20分おきに内腿中心に、時にはスネ上部から太腿全体の攣りに襲われた。持参した塩を舐めても梅干しを食べても水を飲んでも何も変わらなかったが、ストックを使いだしてから嘘のように収まった。



登山口には10〜15分ほどで到着。道を挟んで親不知観光ホテルと自販機、公衆トイレがある。
タクシー代は1680円。地図で見ると、運んでもらった距離より糸魚川 - 親不知駅間の方がはるかに長く、申し訳ない気がした。

トイレに行って準備を済ませ、さあ出発と歩き出したところで気づいた。
そうだ海岸へ降りないと。


海岸までは標高差80m近くあるので結構下る。
フナムシがわさわさする岩場を歩き、7:34 海水にタッチ。


再び登山口へ戻ってきた。7:42 登山口出発。


暑さはそこそこだったが直前まで雨が降っていたせいで湿度が高い。すぐに汗が吹き出してきた。


今まで山を歩いていてヘビを見た記憶はあまりないが、この道はやたらヘビが多かった。
これはヤマカガシ。一番多く見たのはマムシだけど逃げ足が早くて写真には撮れず。

ヘビが多いということはそれだけの餌があって水気があるということだ。
思ったのだけど、この日本海側の一帯は豪雪地帯ということもあって水に浸したスポンジのように土地自体がジュクジュクのままなんじゃないだろうか。上部のたくさんの池塘と沢と残雪を見て特にそう感じた。道がドロドロになっているところもやたら多いし。でもこの環境がたくさんの生き物が生育できる環境を作っていてヘビの多さはその現れだと思う。
富山湾で海産物が豊富にとれるのは山から流れ出てくる豊富な水が栄養素を海へ運んでくるからだと読んだことがある。住むには大変なこともあるんだろうが、ある意味豊かな場所でもあるということだろう。


8:59 入道山。
最初のピークである416m点で休憩していたのでここはそのまま通過。


いったん下って二本松峠。植林帯の中だ。
栂海新道と交差するこの峠道は、海沿いの道が不通となったときに使われていたそうだ。


いったん舗装路を横断する。

そこにあった看板。


こんなぐちゃぐちゃなところが非常に多い。
雨上がり直後のせいもあるんだろうけど池になってるとこも多々あり、防水ではないローカットの靴を履いていたので早い段階から靴の中が濡れてしまっていた。


10:11 尻高山
お地蔵様と三角点と山頂標がある。山の名前の由来はなんだろう? 
ここで二度目の休憩を取った。汗の量がすごいのでしばらく火照った体を冷ます。


今まで樹間からちらちら海は見えていたが、尻高山から少し先のところで大きく開けた。気持ちがすっとする。

周辺はブナが群生している。いい感じだ。


道の真ん中でグネグネとしていたシマヘビ。
逃げようとしないので最初死んでるのかと思ったが、葉っぱを落とすと首をもたげた。弱ってるのかな?
一応大きく迂回して進む。


11:02 坂田峠
ここで三度目の休憩。尻高山からここまでは緩い下りだったので楽だった。

峠を東に下ったところに明治時代非常に栄えた鉱山街があり、全盛期は芸妓を乗せた人力車が行き来していたという。その道も今は多くが藪の中だそうだ。


坂田峠から金時坂へ入るとハシゴとロープの急登が続く。そして脚が攣ってしまった。スネの上部から太ももの付け根付近まで広範囲だ。これはちょっとまずいな。
汗の量が尋常じゃなかったので、塩を舐め、梅干しもちょこちょこ食べていたが効かなかったか。
痛みが引くのを待って歩きだしたが、ちょっとした力の掛け方で攣りそうになるので慎重に脚を運ぶ。

「こんちわ!」 
でかいザックを背負ったおじさんが軽快な足どりで上がってくる。ずっと一人で誰とも会ってなかったからちょっとびっくりした。おじさんは僕に追いついて二言三言言葉を交わしたあと、また軽快に登っていった。

それからも15〜20分後ごとに脚の攣りが襲ってきた。収まるのを待って歩き出し、また攣ってということを繰り返す。
攣る範囲が広いのが気にかかる。熱中症で全身の筋肉が攣って動けなくなり救助を呼んだ、という山行記録を思い出した。
もともと攣りやすいたちで、山で攣ったことは何度もあるし赤岳でも一度似たような広範囲の攣り方をしたことがある。ただ、人と小屋が多い赤岳とは状況がだいぶ違う。
熱中症、脱水症が頭に浮かんだが、これだけ汗をかいておいて脱水状態でないわけがないだろうとも思った。症状が顕在化するかしないかは、状況とその時の体の状態との兼ね合いによるだろう。万全を期すならエスケープだろうけど、それはちょっと考えられない。


11:57 急登の金時坂を登りきったところに金時の頭と書かれた標識があった。


12:06 シキ割の水場
細いがしっかり出ている。ここで3.5リットル満タンにし、しばらく休憩。
さてどうしよう。ここから白鳥小屋までは行けるだろう。でもそれからどうしようか。


13:22 コース上唯一のエスケープ分岐を通過。
←山姥洞と書かれている。降りた先に何があるんだろう? 興味をそそる名前だ。


おっ、小屋の頭が見えた。


13:38 白鳥小屋到着。
さっき僕を抜いていったおじさんが出迎えてくれた。

中はとても綺麗で明るい。

これまで展望というものがなかったがここからの眺めは良かった。
青い海が見えるって気持ちいい。晴れて良かった。雨だとこの道はつらいだろうな。

とりあえず飯だ。
小屋裏の広場に座り、昨夜バスに乗る前にコンビニで買ったおむすびセットを広げ、ここで泊まっていくというおじさんと話しながら食べた。
おじさんはここまで4時間かからなかったそうだ。僕は6時間かかっている。速いな。
話を聞くと納得で、最低毎週2回、多いときは5回も山に登っているという。1日で二つの山を登ることも珍しくないと言っていた。仕事は引退したんだろうか? たぶんそうだろう。じゃないとそこまではなかなかできない。
話してる最中にまた脚が攣った。

「金時坂で脚が攣って、今また攣ってるんですよ」
「どの辺?」
「内腿」
「あーそりゃだめだ。そりゃだめだ。ここに泊まってけばいいじゃない。綺麗でいい小屋だよ。それで今日はゆっくり寝て、明日早く出て涼しいうちに歩くといいよ」

確かに一理あるけど、ここに泊まると次の朝日小屋までコースタイムは14時間15分。そんなに歩けるだろうか? 中間地点の栂海山荘まで行っておけば明日は10時間45分ですむ。

「明日がきついから先の小屋までゆっくり行きますよ」

おじさんに別れを告げ、5分ほど急坂を下ったところでまた脚が攣った。休んで脚を伸ばしてマッサージをし、塩を舐めて梅干しをかじる。


これから歩く稜線が見渡せた。栂海山荘はまだはるか先だ。コースタイムは3時間半とあるがとてもその時間で歩けるような気がしなかった。

脚が攣ったり攣りそうになったりするたびに、やっぱり白鳥小屋で泊まった方が良かったんじゃないかとの思いが湧き上がってきたが、下駒ケ岳の登りにかかったあたりで吹っ切った。
このまま休み休み進もう、水も食料もあるんだし小屋にたどり着けないとなったら道端でビバークすればいいだけだ、と。
振り返ると白鳥山が見えた。結構急下りだったしこれを登り返す気にもなれなかった。



15:31 下駒ケ岳

下駒ケ岳からはかなり急な下りが続く。

ここでストックを使ってみようかとひらめいた。
ストックを使わない方が歩き方の訓練になるだろうと、ここ数年は、この前の上松Aや読売新道など、膝痛が出そうな長い下り以外使ってなかった。
期待はしてなかったがこれが大当たりで、最初のうちこそちょっとした痙攣が2回ほどあったがそれ以降ピタリと収まった。ストックにこれほどの威力があるとは。
翌日数人で話していて、この白鳥山から犬ヶ岳の区間がきつかったという話題になった。確かにきつかったけれど、僕は足の攣りが収まったことがすごく嬉しくて気分が良かった。


16:04 菊石山


この辺りのブナ林がすごくよかった。


17:18 数分の休憩。栂海山荘はまだまだ先だ。
菊石山から小屋までのコースタイムは2時間で、菊石山からもう1時間ちょっと歩いている。
あと1時間であんなとこまで行けるんだろうか?


薄暗くなってきた。でももうすぐだ。


18:08 着いた!
綺麗な色の小屋だ。ポルトガルとかカメルーンとかこんな色の国旗だったような。

小屋に入ると3名がすでに就寝体勢に入っていてちゃんと中は見れなかったが、内部は1階2階ともふたつに区切られていて計4区間あり、この日は4人だったのでそれぞれひとつの区間を使うことができた。
僕が寝たのは2階の広い方の部屋で、銀マットが敷いてあり、毛布がきちんと畳まれて置いてあった。

小屋の前にはテント場が広がっている。10張と書いてあるがその2〜3倍はいけそうだ。
左奥にトイレがあって、鉄板の上に落としたブツを散水ホースで流す仕組みになっている。水圧も充分ある。

陽が落ちていくのを眺めながら食事をとる。
無事ここまで来ることができた喜びと同時に放心状態でもあった。小屋前のベンチに座って、暗くなるまで景色を見ていた。




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