わずかに見えた宝剣岳。雲に覆われた二日間だった。
ロープウェイができるまでは木曽駒への主要登山道だったというこのコース。
翌日下った上松Aコースと違い、信仰の道ではないらしく石碑などはほとんど見なかった。
桂小場から八合目までは、新田次郎著/聖職の碑(いしぶみ)の舞台とも被っている。
「聖職の碑」は、1913年、中箕輪尋常高等小学校高等科2年生と引率者合わせて37名のうち11人が死亡した遭難事故を元に書かれた小説で、遭難のみを扱ったドキュメントではなく、それをどう捉え、自分たちはこれからどうするかというところまでが、取材を基にした事実と、推測、脚色を組み合わせて書かれている。
途中、長い白ひげの謎の老人が嵐の到来を予感する場面があるが、新田次郎の小説には、「栄光の岩壁」に出てくる津沼春雄のような不必要と思われる人物が出てきてイライラすることがあるので、またこの手のを出すのかと思ったが、あとがきとして書かれた取材記を読むとなんと実際にあったことだという。生還者に会って話を聞くくだりのある、この80数ページに及ぶ長い取材記もなかなか面白かった。
ぶどうの泉(水場) 8:50
野田場(水場)9:43 - 9:54
大樽避難小屋 10:50
行者岩分岐 12:22
西駒山荘 12:49
将棊頭山 13:03 - 13:23
木曽駒ヶ岳 15:10 - 15:19
頂上山荘テン場 15:29 - 16:12
乗越浄土 16:30
宝剣岳 16:43 - 16:50
頂上山荘テン場 17:24
最大標高差1692m 累積標高上り1962m 下り377m 距離15.177km
前夜松本駅で駅寝。
東京はどんよりした天気が続いていたが松本も同じような空模様で、出発当日の朝もそれは変わらなかった。
松本から電車で伊那市駅へ向かい、駅前に常駐しているタクシーで登山口へ。タクシー代は3700円。
伊那市駅では薄日が差していたが、タクシーが山道へ入った頃から霧に覆われだした。路面が濡れているので朝方まで雨が降っていたみたいだ。
登山口には20分ほどで到着。
2、30台ほど停めれそうな駐車場があり、15台ほど車が停まっていた。人はまあまあ入っているようだ。
駐車場の向かいの東屋でのんびり身支度を済ませ、8:29 出発。
20分ほどでぶどうの泉という水場があった。カップで三口ほど水を飲む。
水は1.5L担いでいて、次の野田場で汲み足すつもりだった。野田場は、渇水注意と地図には書かれているが、雨が続いているので出てるだろう。
笹と針葉樹のこんな風景の道が延々と続く。整備はとてもきちんとされていて歩きやすい。
登山口から1時間ちょっとで野田場到着。ここで最初の休憩。3.5L分の水筒を満タンにしおにぎりを食べた。
ぶどうの泉より細いが水は問題なく出ていた。
横山方面への分岐を分ける。草が茂っていてあまり歩かれてなさそうな雰囲気。
馬返し。村人が柴を取りにここまで馬を連れて上がってきてたそうだ。
大樽避難小屋 10:50
中は綺麗で、これなら躊躇せず泊まれそうだ。4,5人寝れるくらいかな。
この登山道は標高100mおきにこんなかわいい標識がある。
11:25 六合目到着。ここで二度目の休憩。簡単な食事をとる。
ここで今日初めて人と会った。
11:52 津島神社。後で行程を振り返ったら時間的にここが登山口から木曽駒までの中間地点だった。登り始めてから3時間半ほど経過している。
胸突ノ頭に着き、その先の行者岩分岐から少し進むと視界が開け、高山らしい風景が広がった。
ここまで歩きだして4時間ほど。
12:49 西駒山荘。水場1分の標識あり。
多めの水を担いで胸突八丁を登ってきたのは、ここの水場が離れていれば寄りたくなかったからだが、1分なら問題ない。今度来ることがあればここで汲もう。
買物もトイレも不要なので小屋には寄らずに先へ進む。
赤と黒のまだ新しい小屋の左に写っているのが、大量遭難を受けて作られた石室だ。
遭難当日、一行がこの辺りを通過したのが15時過ぎ頃だからちょうどいいところにあると思う。
将棊頭山で食事をとろうと考えていたので分岐から将棊頭山へ向かう。ハイマツが両側からせり出す狭い道だった。松ヤニが付きそう。
13:03 将棊頭山。
ここで昼食。途中一人が立ち寄っていっただけで静かな山頂だった。見渡す限り真っ白だ。
すぐ下に西駒山荘が見える。
前方に巨岩が見えてきて、回り込んでみたら聖職の碑で書かれた遭難記念碑だった。
なぜ慰霊碑ではなく記念碑なのか? というところから物語は始まる。
庄屋と小作人の存在、教育理念の対立など当時の状況を絡めて物語は進んでいき、遭難当日を迎えるが、まず思うのが歩く距離の長さだ。
各自が家から徒歩で学校に集合し登山口まで5時間! すごい。
食事をとって12時に登山口を出て、乗越浄土付近にあった伊那小屋に着いたのが18時〜20時(正確な時間は調べたが不明)。学校を出たのが5時半頃なので13〜15時間経過している。これは途中に小屋がほしいところだ。
しかしやっとの思いで到着した伊那小屋が倒壊してしまっていたのが悲劇の始まりになる。ここから先は絶望の縁を綱渡りするような描写が続く。これでよく死者が11人で済んだもんだと僕は思った。
乗越浄土への道を分け稜線を進む。左下に少し見えているのが濃ヶ池。
天気が良ければ宝剣から木曽駒までが見えるんだろうが…。
濃ヶ池を見下ろす斜面は黄色い花がたくさん咲いていた。なんの花だろう? 地図にシナノキンバイって書いてあるからそれかな。
頂上山荘への道を左に分ける。
テントやっぱ多いな。
初めて木曽駒に来て印象に残ったうちの一つがこの岩だった。岩の多さと緑とのコントラスト。北アとはなんか感じが違う気がする。
15:10 木曽駒ヶ岳到着。
相変わらず真っ白で景色は拝めない。時折雲が僅かに途切れて日が差す程度。
樹林帯も長かったが森林限界を超えてからも長かった。これで晴れていればすごく良かっただろうな。
15:29 テン場に到着。テント代千円。
ツェルトを張って少し休んだ後、雨具や水など持って宝剣岳へ向かう。
まずは中岳への登り。
中岳山頂。
16:30 乗越浄土。ここに小屋が二軒建っているが「聖職の碑」に出てくる伊那小屋もこの付近に建っていたようだ。
宝剣岳への往復は誰とも会わなかった。
鎖場を上り詰めたところが頂上かと思ったがさらに道は続いていてそこが核心部だった。右が切れている。落ちても引っかかりそうではあるけど岩で頭を打ちそう。
16:43 宝剣岳。この真ん中の岩の上がほんとの頂上なんだろうが、当然登ることはせず、祠の前に腰掛けしばらく休んだ。
少しの間雲が途切れ、千畳敷が見えた。
7分休んで山頂を後にする。
乗越浄土に建つ小屋。
振り返ると宝剣岳が少しだけ見えた。
これはこれで幽玄な雰囲気でいい。
伊那前岳。これもかっこよかったな。
無事テン場に着き、夕食後トイレの洗面台で歯磨き。歯磨き粉を使っている人がいたがいいのか?
19時半頃寝付いて、20時半頃目が覚めたら雨が降っていた。ツェルトのドアを閉めて横になったが、案の定23時頃まで寝付けなかった。
2日目
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